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紙のコラム:お洒落なお父さん

父は、Yシャツも背広も、オーダーを着ていた。えっ!うちがお金持ちだからですって!そんなことはないのです。父には、首がなかった~私も父に似てないですけど。身体のサイズも少年の頃はがりがりに痩せていたのに、急に成長したから、肉のつき塩梅が、既製服だと、おかしくなるのだね。
だから、横町の羊屋さんや仙台のデパートとかにわざわざ行ってオーダーしていた。うちの父が特段贅沢だったかというと、たぶん、お友達のお父さんや学校の先生の背広姿を見ても、その人ごとの個性があったから、オーダーというのが当たり前だったんだと思うよ。その町内町内に、仕立て屋さんがいて、頑固そうなおじいちゃんがミシン踏んで、気のいいおばあちゃんがニコニコボタン付けなんかやっていたから。
父が急逝して25年にもなるので、いまさら聞けないし、配偶者である母は「お父さん、首なかったでしょ、あんたと同じ』としか言わないから問わない。
つまり、私の中の男性の外出着は、重厚な生地を使ったオーダーのYシャツであり、背広・スーツなんですよ。

私たちが高校を卒業した時代。私は女子高だったから、男子高を卒業した男子がなにを着て、就職したり大学に行ったりしてたかは詳しくはないけれど、ちょうどアイビールックが再燃した時期で、セミオーダー的なものを着てた気がする。
国民総中流だったし、節目節目で親がお金がなければ、「買ってやろう」という親戚も1人はいたし。だから、父のファッションと大きく外れることもなかった気がする。

それからほどなくして、バブルが来て、みんな肩パッドが入った、サンクスサンクスモニカ♪的な吉川晃司スーツを着たんだっけ。あれはオーダーなのかなあ。市販品なのかなあ。とにかく、今考えると、女子のワンレンボディコンもそうだけど、あんなこっぱずかしいの着て、ディスコによく行けたもんだよ。
本当に、泡のがはじけるみたいにお金がどこからか、湧いてきてさ。あきこちゃんの初めてのボーナス、紙袋に入らなくて、帯ついたままデスクに置かれていたというんだから尋常じゃなかったのかもしれないね。
田舎で細々と暮らす私でも、今よりは洋服買ったし、誰とも被らないデザイン、一点もの買ったし。家業でしたからお給料は月5万円で、ボーナスは5000円。それでも貯金で来たなあ、今よりも。不思議な時代だったよ。

それの波が引いてからだ。今ならスーツ、二枚目半額とか、スーツ二枚買うとズボンサービス(パンツじゃなくて、ズボンの時代、ぎりぎり)の、開店しては、すぐ閉店セールする紳士服店があちこちにできた。リクルートも氷河期だから、少しでも自分が目立つことを嫌って、同じリクルートルックに、同じ髪型、白いスニーカーで、ランチを終えて喫茶店出る時だって「ありがとうございました」と大きく叫ぶ、危ない子が増えたんだった。

社長秘書という触れ込みでお見合いした男性の背広の後ろのセンターベンツつうところがぺナペナで、風にすぐに吹っ飛ぶ仕様で、「この人、秘書じゃないな」ってわかった。だって、オーダー着た親父しか見てない家庭の娘だもの、その背広がツルシかどうかぐらいわかるよ。仲人さんも、仕事の嘘は言ってはダメだよ。

父だってたまには、衝動的に既製品のYシャツを買ってくることがあって、その中には、Yシャツを立派に成型する厚紙が入っていた。それに絵を描くのが、意外と好きだった。でも、父のそのYシャツ姿はやはりどっか似合ってなかったけどね。

折られたTシャツの中には、やさしい昔のティッシュみたいな紙が入っている。それと比較して、Yシャツの厚紙。それが男と、女をわける差なんだと思うけど。
とにかく、父のフルオーダーで決めた姿には、惚れました…首はないけど。

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